WRCができるまで
ラリーの歴史は古く、中世からラリー的なイベントは開催されてきました。ラリーは「再び集まる」ということを意味し、各地から一箇所に集うのがイベントの原型です。
自動車競技としてのラリーの起源といえるのは1911年からF1のモナコGPを主催するのと同じクラブによって主催され続けているラリー・モンテカルロでしょう。かつてはモンテカルロのスタート地点まで各競技者がヨーロッパ各地から競技車両に乗って自走で集結する「コンサントラシオン」というプレイベントがあり、古い時代のラリーの雰囲気を残していました(1995年をもって廃止)。ラリー・モンテカルロの開始以降、1933年から始まるウェールズラリー(RACラリー)など20世紀前半中にヨーロッパではいくつかのイベントが企画され、自動車競技の発達を促しました。
今日につながるイベントが開催されはじめるのは第2次世界大戦後のことです。各国で自動車の生産が活発になるにつれ参加者を増やした各地の個性的なラリーが、戦後ヨーロッパ内で緩やかなシリーズとして体系だって行きます。1950年にラリー・トゥ・ザ・ミッドナイト・サンという名でスウェディッシュラリーが、続く1951年にはフィンランドで1000湖ラリーがラリー・モンテカルロのスタイルをおおよそ踏襲してイベントを成立させ、フランスのコルシカ島を舞台に開催された1956年のツール・ド・コルスもそれに習いました。
ヨーロッパの植民地だったアフリカもラリーの舞台となります。1953年には初めてのサファリ・ラリーが開催され、過酷な熱に砂埃、時には動物と戦うタフなラリーとして名を博しました。
1973年に、当時名高かった13のイベントがFIA(世界自動車連盟)によって世界選手権として組織化され、今日に至る世界ラリー選手権の歴史が幕を開けます。


1973〜1986 WRC創設〜グループBの時代

WRC成立当時のFIAはグループ1〜6という車両区分(クラス)を設けていました。年間1000台生産実績のあるツーリングカーという規定のグループ2と、年間500台(後に2年間に400台に減る)生産実績のあるスペシャル・グランド・ツーリングカーという規定のグループ4がWRC創設当初の花形クラスでした。

グループ2のマシン:
トヨタ セリカ1600GT(TA22)

グループ4のマシン:
ランチア フルビアHF
ランチア ストラトスHF 
アルピーヌ A110
フィアット 124ラリーアバルト
フィアット 131ラリーアバルト
ルノー 5ターボ(→グループBに移行)
アウディ クワトロ(→グループBに移行)
フォード エスコートRS
日産 バイオレットGT
タルボ サンビームロータス
オペル アスコナ400
ポルシェ 911SC-RS
BMW M1
トヨタ カローラ(TE27)
トヨタ セリカ2000GT(RA20)
トヨタ セリカRA40
三菱 ランサーGSR
三菱 ランサーEX2000ターボ

1981年に4WDが売りのアウディ クワトロが登場すると、あっという間にクワトロ勢が上位を席巻し、エンジンをターボ過給し4WDで様々な路面に対処するというその後のラリーカーの方向性が決まりました。
クワトロの登場を受けるように、1983年にFIAは新しいクラス区分を導入。新しい区分ではそれまでの6つのグループがA、B、C、Nの4つのグループに再編され、WRCの選手権タイトルはグループ4の後継ともいえるグループBにかけられました。
グループBの規定は、1年間に20台の競技仕様車を含む200台の市販車としての生産実績があることというもので、各メーカーはこぞって高性能なスペシャルカーを生みだしました。具体的には、鋼管を曲げて溶接したボディに高出力ターボ過給エンジンをミッドシップ搭載しフルタイム4WDを組み合わせ、外側を市販車の外観を模したFRPやCFRPケブラーのカウルで覆っただけの純粋なレーシングマシンが世の中に出てくることになりました。

グループBのマシン:
ルノー 5ターボ
ルノー MAXI 5ターボ
シトロエン BX-4TC
MG メトロ6R4
アウディ スポーツクワトロ SIE1・SIE2
プジョー 205ターボ16 EV1・EV2
ランチア 037ラリー Evo1・2
ランチア デルタS4
オペル マンタ400
フォード RS200
日産 240RS
トヨタ セリカ ツインカムターボ
三菱 スタリオン4WD
マツダ サバンナRX-7 SA22C
ダイハツ シャレード926ターボ
フェラーリ 308GTB

華やかな、後世憧れを持ってその名が呼ばれるこれらのマシンは、しかしながら、ハイパワーのエンジンと、今より安全面で未熟な車体のパッケージングがあだとなって、いくつかの痛々しい事故につながってしまいました。1986年、ランチア037を駆るヘンリ・トイボネン/セルジオ・クレスト組のツール・ド・コルスでの悲劇的な事故を最終的なきっかけとしてグループBの時代は終焉を迎えます。


1987〜1997 グループAの時代

グループBに代わり、1987年から世界選手権がかけられたのはグループAでした。グループAは、1年間で5000台(後に2500台に変更)以上生産実績を持つ車両とされ、改造規定はグループBに比較して大幅に強化されています。グループBの時代は終わったものの、ラリーカーに要求される性能は変わっておらず、この規定は各メーカーに、スペシャルな車を少量生産するという従来のあり方から、ハイスペックな車を量産ベースで生産し販売する路線への転向を迫りました。ランチアはいち早くこの動きに乗ってグループA時代の幕開けを牽引しますが、2000ccにターボ過給、フルタイム4WDというスポーティな車を量産する用意のなかった他メーカーが次々と撤退してゆきました。この状況下で台頭してきたのが日本車メーカーです。1993年には日本のメーカーとしてはじめてトヨタがマニュファクチャラータイトルを取り、1995年からの3年間連続でスバルがそれに続きました。当時のバブル景気も手伝って、高性能なスポーツ・ツーリングーが多数生み出され、WRCの雄を争いました。

グループAのマシン:
ランチア デルタHFインテグラーレ
ランチア デルタHFインテグラーレ エボルツィオーネ
トヨタ スープラGT
トヨタ セリカGT-Four ST165・ST185・ST205
スバル レオーネ4WD RX
スバル レオーネRXII
スバル アルシオーネ VRターボ
スバル レガシィRS
スバル インプレッサWRX(GC)
三菱 ギャランVR-4
三菱 ランサーエボリューション I・II・III・IV・V・VI
日産 240SX
日産 サニー(パルサー)GTI-R
BMW M3
マツダ 323GT-X
フォード シエラXR6 4WD
フォード シエラRSコスワース
フォード シエラ サファイアRSコスワース4x4
フォード エスコートRSコスワース


1997〜現在 WRカーの時代

世界的に見ると2500台という生産実績の台数が災いし、参戦メーカーの減少が顕著になってきたため、1997年にグループAの特例としてFIAはWRカー規定を設け、WRカークラスに選手権タイトルを掛けるようになり、WRカーの時代が幕を開けます。
WRカーは、グループAをベースに1年間で25000機以上生産された同一メーカーの他車種向けエンジンという条件でのエンジン換装・ターボ装着・4輪駆動への改造・サスペンション形状変更・ワイドボディ化といった大幅な改造が認められており、グループAでの参戦をあきらめていた多くのヨーロッパメーカーが再びWRCをにぎわせるようになりました。
ちなみに、1990年代半ばまで年間8〜10のイベントで構成され、それぞれがかなり個性的だったWRCのイベントが、徐々に画一的なスタイルになり、イベント数が増えてゆくのもWRカーの時代への移行に重なります。
ここ数年の国際的な不況の中で、大幅な改造が許されたがためのWRカー製作コストの高騰とイベント数の増加は資金面で各参戦メーカーを悩ませ、2008年現在はWRカー規定の改定と2009年からの年間ラウンド数の削減が予定されています。
こうした激動の時代ですが、スズキ・ワールドラリーチームでは2008年よりWRCへの全面的な参戦を開始し、世界で通用する技術力の研鑽と魅力的な車作りに邁進してゆきます。

これまでのWRカー:
シトロエン クサラWRC
シトロエン C4WRC
プジョー 206WRC
プジョー 307WRC
フォード エスコートWRC
フォード フォーカスRS WRC
トヨタ カローラWRC
スバル インプレッサWRC
三菱 ランサーWRC
セアト コルドバWRC
シュコダ オクタビアWRC
シュコダ ファビアWRC

 

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